日本歴史地名大系 「水沢野田村」の解説 水沢野田村すいざわのだむら 三重県:四日市市南部地区水沢野田村[現在地名]四日市市水沢野田町内部(うつべ)川の南台地上にあり、対岸の北西は水沢村、東は堂箇山(どうがやま)村。天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写には「七斗五升 外記 のた」と出る。三重郡柴田(しばた)郷内にも野田(のだ)御園がある(仁平二年正月日「度会貞綱田地売券案写」光明寺古文書)が、前記本水帳の配列よりして水沢野田と考えられる。明暦元年(一六五五)の「水沢野田村由緒之一巻」(水沢野田区有文書)によれば、天正一四年頃水沢村の黒田治助が、この地を再開発することを計画し、同一七年水沢村から一三軒が移住、新田村を形成。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報