水野常倫(読み)ミズノ ジョウリン

20世紀日本人名事典 「水野常倫」の解説

水野 常倫
ミズノ ジョウリン

明治〜昭和期の尼僧 微笑堂11代庵主。



生年
嘉永1年11月5日(1848年)

没年
昭和2(1927)年5月5日

出生地
尾張国大野(愛知県知多郡大野町)

本名
水野 琴子

旧姓(旧名)
清水

別名
号=天明

経歴
9歳のとき実家に近い微笑堂の観光尼のもとで出家。安政5年師の観光尼に従って京都の養林院に移り、さらに安政6年名古屋の水野平蔵の招きで師と共に7日間の法華経誦説法を行った。この時に平蔵の養女となり、以後水野姓を称した。明治17年微笑堂の11代庵主となり、26年まで在職。のち各地を巡歴しながら説法を行い、35年には全国尼僧取締役に就任。36年愛知県東春日井郡の薬師堂に私立の尼僧学林(現・愛知県専門尼僧堂)を開き、38年曹洞宗立の認可を受けて尼僧の教育に力を尽くした。その後も旺盛な説法活動を続けるが、晩年の大正11年に失明

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「水野常倫」の解説

水野常倫

没年:昭和2.5.5(1927)
生年:嘉永1.11.5(1848.11.30)
江戸末から明治大正期の曹洞宗の尼。号は天明。尾張大野(愛知県大野町)の清水治平衛の3女。俗名琴子。9歳で近隣の微笑堂の観光尼に従って仏門に入る。のち,名古屋の水野平蔵の養女となる。明治35(1902)年,「全国尼僧取締役」となり,翌年,愛知県東春日井郡高蔵村薬師堂に私立尼僧学林を開き,2年後には曹洞宗の宗立として認可された(現愛知専門尼僧堂)。その後も各地に招かれて説法したが,晩年失明,弟子たちの篤い看護のもとで,尼教育につくし,近代尼の地位を築いた生涯を閉じた。<参考文献>曹洞宗尼僧史編纂会編『曹洞宗尼僧史』

(熊本英人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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