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水野忠央 みずの ただなか

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美術人名辞典の解説

水野忠央

幕末の国学者。紀伊田辺藩主。丹鶴・黄菊寿園と号する。『朝儀部類』『丹鶴叢書』等の著書がある。元治2年(1865)歿、52才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

水野忠央 みずの-ただなか

1814-1865 江戸時代後期の武士。
文化11年10月1日生まれ。紀伊(きい)和歌山藩付家老,新宮城主。国書を翻刻して「丹鶴叢書(たんかくそうしょ)」を刊行。産業の育成,軍事の刷新にもつとめた。安政5年大老井伊直弼(なおすけ)と協力し,藩主徳川慶福(よしとみ)を14代将軍(家茂(いえもち))に擁立。桜田門外の変のあと謹慎を命じられた。元治(げんじ)2年2月25日死去。52歳。通称は藤四郎。号は丹鶴,鶴峰。

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朝日日本歴史人物事典の解説

水野忠央

没年:慶応1.2.25(1865.3.22)
生年:文化11.10.1(1814.11.12)
幕末の新宮城主で,江戸在住の紀州(和歌山)藩付家老。天保6(1835)年家督相続。嘉永5(1852)年,藩政の実権を掌握していた藩老山中筑後守,元藩主徳川治宝が続いて死去するに際し,その側近伊達宗広(千広)らを追放。幼主徳川慶福を擁して藩政指導の場に立つ。海防の充実を図り,江戸藩邸に文武場を設けて国学・蘭学の2学を置き,また自邸で洋式調練を行う。文学を好み稀覯書を収集,小中村清矩らの協力のもと『丹鶴叢書』として刊行。丹鶴は自身の号でもあり新宮城の別称でもある。のち井伊直弼を支持して慶福の将軍擁立を図った。桜田門外の変後の万延1(1860)年6月,幕府により隠居,新宮での蟄居を命ぜらる。元治1(1864)年5月蟄居解除,同8月鶴峯と改名した。

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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