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藤四郎 とうしろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤四郎
とうしろう

鎌倉時代,尾張国瀬戸焼の祖とされる加藤四郎左衛門景正の家系を継ぐ陶工俗称。1世加藤四郎左衛門景正が略称「藤四郎」といったことに始る。景正は貞応2 (1223) 年僧道元とともに渡宋し,製陶法を学んで帰朝し,陶器に適した土を求めて諸国を巡歴して瀬戸でこれを見つけ,ここに瀬戸焼を開いたという。以来,12世基時まで続いた。茶入れでは特に2世基通の作品を「藤四郎」と称する。

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デジタル大辞泉の解説

とうしろう〔トウシラウ〕【藤四郎】


鎌倉時代の陶工で瀬戸焼の祖とされる加藤四郎左衛門景正(かげまさ)の略称。藤四郎の名は代々継承され、12代を数える。
鎌倉時代の刀工、粟田口吉光の通称。

陶工、藤四郎の焼いた陶器。特に茶入れで、2代目藤四郎基通作とされる真中古(まちゅうこ)をさし、初代の作は春慶唐物などと称される。
《「しろうと(素人)」を逆さまにして人名のようにいった語》しろうと。とうしろ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤四郎 ふじ-しろう

1828-1874 幕末-明治時代の武士。
文政11年4月29日生まれ。筑前(ちくぜん)福岡藩士。平野国臣らとまじわり,万延元年脱藩の罪で大島に流された。文久3年生野の変にくわわる。慶応2年姫島配流中の野村望東(ぼうとう)を救出。維新後,京都大属,福岡藩権大属などをつとめる。明治7年11月3日死去。47歳。名は茂親。

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大辞林 第三版の解説

とうしろ【藤四郎】

〔「しろうと(素人)」をひっくり返し、人名めかした語〕
素人しろうと。とうしろう。

とうしろう【藤四郎】

○ 鎌倉初期の陶工。加藤四郎左衛門景正の略称。道元に従い入宋。陶技を学んで帰朝後、瀬戸に窯かまを開いたという。瀬戸焼の祖とされる。生没年未詳。以後代々藤四郎を襲名、一二代を数える。
藤四郎作の茶入れ。特に二代作の真中古まちゆうこをさす。また、初代の作は唐物・春慶などと呼ばれる。
○ 刀工、粟田口吉光の通称。
とうしろ」に同じ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤四郎
とうしろう

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世界大百科事典内の藤四郎の言及

【加藤景正】より

…瀬戸焼の開祖と言い伝えられてきた伝説的陶工。正式名を加藤四郎左衛門景正といい,略して藤四郎とも称される。生没年不詳。…

※「藤四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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