氷上村(読み)ひかみむら

日本歴史地名大系 「氷上村」の解説

氷上村
ひかみむら

[現在地名]三木町氷上

上高岡かみたかおか村の西に位置し、西はほぼ吉田よしだ(吉谷川)を境にして田中たなか村。古代の三木郡氷上郷(和名抄)の遺称地で、田中郷との界線は条里地割に沿っていたと推定されている。氷上郷は中世にも公領として存続し、嘉元四年(一三〇六)の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)にみえ、知行者は重方・新左衛門督局。同郷は応安二年(一三六九)後鳥羽院御影堂(現大阪府三島郡島本町)に寄進され(同年四月一四日「後光厳天皇綸旨」水無瀬宮文書)、応永一七年(一四一〇)には足利義満により安堵されている(同年一二月二一日「畠山満家奉書案」同文書)。なお古筆家了佐が後醍醐天皇の宸翰とする八月二五日付の文書があり(左甚五郎美術館蔵)、「讃岐国氷上郷、御をくりものにまいらせ候也」とある。大川郡白鳥しろとり若王にやくおう寺蔵の大般若経第六四巻は、奥書によれば応永六年に氷上長楽ちようらく寺教義によって書写されている。


氷上村
ひかみむら

[現在地名]氷上町氷上

西端を佐治さじ(加古川)が流れ、対岸西中にしなか村、東は字多田野の天王ただののてんのう坂を越えて天王村(現春日町)。山陰道(京街道)が通る。古代氷上郡氷上郷(和名抄)の遺称地。天正一一年(一五八三)八月一八日の羽柴秀勝与力分知行宛行状(五藤文書)に村名がみえ、高一五〇石が赤尾孫介に与えられている。同一九年当村のうち二〇〇石が飯尾与四郎に与えられた(同年八月二日「豊臣秀吉領知朱印状」岡本直衛氏旧蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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