日本歴史地名大系 「木田郡」の解説 木田郡きたぐん 面積:一〇九・〇四平方キロ三木(みき)町・牟礼(むれ)町・庵治(あじ)町明治三二年(一八九九)三木郡と山田(やまだ)郡が合併して成立。かつては現高松市の一部をも郡域としたが、現在は三町からなる。北は海に面し、東は大川(おおかわ)郡志度(しど)町・長尾(ながお)町、南は徳島県美馬(みま)郡脇(わき)町、西は高松市・香川郡塩江(しおのえ)町に接する。南北に細長く、瀬戸内海に突出した庵治半島に庵治町、五剣(ごけん)山(八栗山、三六六・二メートル)南麓の半島基部に牟礼町があり、立石(たていし)山(二七二・五メートル)の南に三木町がある。三木町の南は高仙(こうぜん)山(六二七・一メートル)など讃岐山脈の山々が連なり、新(しん)川・吉田(よしだ)川はこれらの山地を水源とする。JR高徳本線が牟礼町中央部を東西に通り、並行して国道一一号が延びる。また三木町の中心部を県道一〇号(長尾街道)とバイパスが東西に通ずる。〔原始―近世〕三木町白(しら)山(二〇三メートル)山麓の白山遺跡と牟礼町源氏(げんじ)ヶ峰(みね)遺跡からは銅鐸が出土し、牟礼町羽間(はざま)遺跡からは細形銅剣が出土している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by