氷所村(読み)ひどころむら

日本歴史地名大系 「氷所村」の解説

氷所村
ひどころむら

[現在地名]八木町字氷所

北は上世木かみせき(現日吉町)、西は日置ひおき村・池上いけがみ村、南は刑部おさべ村・青戸あおと村、東は桑田郡神吉上かみよしかみ村・神吉下村・神吉和田かみよしわだ(現八木町)、および同郡山階やましな村・印地いじ(現亀岡市)。北部は山林、南部は水田からなる広大な村である。

「延喜式」(主水司)にみえる諸国氷室の一所「丹波国桑田郡池辺一所、五丁輸一駄」は、当地から神吉にかけての地域にあったと考えられている。承久三年(一二二一)の北条時房書状(氷室文書)には、次のように記される。

<資料は省略されています>

承久の乱後六波羅探題として京にいた北条時房に、神吉氷室司から事情不明だが訴えがあり、時房はさらに精査することや、地頭の設置をほのめかしている。ただし神吉への地頭の設置は「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月四日条に先例があり、「主水司供御丹波国神吉、依地頭職、有事煩之由、依申之、可免除之旨、被御消息於北条殿、因幡前司沙汰之」とみえて、この時はおそらく主水司からの訴えにより停止されている。

寛喜二年(一二三〇)四月二八日付の関東御教書(氷室文書)には

<資料は省略されています>

とある。また南北朝期に入ると氷室文書に

<資料は省略されています>

などとあり、神吉氷室がなお主水司領として大嘗会米(この際は後光厳天皇践祚大嘗祭米)などの公事を免除されていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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