室町中期の臨済(りんざい)宗の僧。代表的五山文学僧。臥雲山人(がうんさんじん)、刻楮子(こくちょし)などと称した。和泉(いずみ)(大阪府)の堺(さかい)の人。相国(しょうこく)寺の無求周伸(むきゅうしゅうしん)に参じ、その法を嗣(つ)いだ。無求の寂後、厳中周噩(げんちゅうしゅうがく)(1359―1428)、天章澄彧(てんしょうちょういく)(1379―?)、惟肖得巌(いしょうとくがん)らに師事し、五山文学を学ぶ一方、等持(とうじ)寺、相国寺に住し、上杉禅秀(ぜんしゅう)(氏憲(うじのり))の乱(1416~1417)の調停や、三たび僧録司(そうろくし)に任じて禅宗界を統率するなど、政治的才腕を振るった。とくに義堂周信(ぎどうしゅうしん)、絶海中津(ぜっかいちゅうしん)以来の五山学芸を集大成した功績は大きい。文明(ぶんめい)5年6月24日、83歳で示寂。興宗明教(こうしゅうめいきょう)禅師と勅諡(ちょくし)された。抄物(しょうもの)『刻楮』200巻のほか、日録『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』、外交文書の作例集『善隣国宝記(ぜんりんこくほうき)』、詩文集『臥雲稿(がうんこう)』『竹郷集(ちくごうしゅう)』など多数。門下からは横川(おうせん)、綿谷(めんこく)(1405―1472)、桃源(とうげん)(1430―1489)などの文学僧が輩出した。
[藤岡大拙 2017年8月21日]
室町中期の臨済宗の僧。臥雲山人,羊僧,竹郷子,刻楮子等の号がある。諡号(しごう)は興宗明教禅師。和泉国堺に生まれ,1405年(応永12)に相国寺の無求周伸により受戒し,天竜寺に属した。その後,景徳寺・等持寺の住持を歴任し,38年(永享10)には関東公方足利持氏と上杉憲実の対立を将軍足利義教の使として調停した。41年(嘉吉1),相国寺に移り,46-47年,56-60年,67-73年の3度にわたり僧録司(鹿苑院主)を務めた。五山僧として著名な彼の素養は惟肖得巌,厳中周噩(しゆうがく)を師として養われ,その素養をもって64年(寛正5)には〈遣唐表〉を作成するなど外交僧としても活躍した。また,《善隣国宝記》にみられる日本の古典の知識は明法家清原業忠に負うところが多い。著書には,紀行文に《入東記》《温泉行記》,漢詩文に関しては《脞(ざ)説》《竹郷集》《臥雲稿》,日記には《臥雲(がうん)日件録》を惟高妙安が抜書した《臥雲日件録抜尤(ばつゆう)》がある。
執筆者:高橋 公明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…室町時代の外交書。瑞渓周鳳(ずいけいしゆうほう)著。3巻。…
※「瑞渓周鳳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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