日本歴史地名大系 「八木町」の解説 八木町やぎちよう 京都府:船井郡八木町面積:四九・二三平方キロ船井郡の南東部に位置し、東は北桑田郡京北(けいほく)町、南は亀岡市、西は園部(そのべ)町、北は日吉(ひよし)町に接する。面積は郡内六町のうち最小であるが亀岡盆地の北西部分を占めるので、耕地も広く米作が盛んで、人口密度は郡内最高である。町の西部を大堰(おおい)川が南流し、鳥羽(とば)で園部川を合わせ、南東方向に流路を転じる。大堰川右岸を国鉄山陰本線と国道九号が並走し園部、亀岡市に至る。 八木町やぎまち 兵庫県:出石郡出石町出石城下八木町[現在地名]出石町八木内(うち)町の北に位置する町人町で、本町六ヵ町の一。町名は山名祐豊が有子山(ありこやま)城(高城)の城下を開いたとき山名氏の重臣八木氏の居館があったことに由来するという。出石封内明細帳、文化七年(一八一〇)の城下絵図などによると、竪町は内堀の北に並行する長さ一四〇間・幅三間二尺の東西路の両側町で、東は魚屋(うおや)町、西は田結庄(たいのしよう)町に続いた。横町は竪町の中ほどから北に延びる長さ二四間・幅三間五寸の道の両側町で、北は本(ほん)町に続き、南は城の大手前に至った。 八木町やぎまち 兵庫県:姫路市姫路城下八木町[現在地名]姫路市八木町姫路城東の外曲輪に位置する町人町。生野(いくの)町の東にある南北の町筋で南は福居(ふくい)町。慶長六年(一六〇一)の町割で成立。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図に「井の町」のうちの「中井の町」とある。元禄八年(一六九五)写の姫路城図にも「中井の町」とあるが、姫路町書上帳、元文五年(一七四〇)の姫路町飾万津町地子銀控に八木町の家数一七・地子銀一二〇匁余とあって、この間に町名が変わった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報