永井直清(読み)ながい なおきよ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永井直清」の解説

永井直清 ながい-なおきよ

1591-1671 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)19年5月生まれ。永井直勝次男。2代将軍徳川秀忠(ひでただ)につかえ,小姓,書院番頭となる。のち山城(京都府)長岡藩主をへて,慶安2年摂津高槻(たかつき)藩(大阪府)藩主永井家初代。3万6000石。京都所司代代理,大坂城代代理をつとめた。寛文11年1月9日死去。81歳。通称は伝十郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の永井直清の言及

【高槻藩】より

…摂津国芥川郡高槻城(現,大阪府高槻市)に藩庁をおいた譜代小藩。1615年(元和1)以後内藤信正,土岐定義,松平家信,岡部宣勝,松平康信が交代して藩主となり,49年(慶安2)永井直清が山城国長岡の勝竜寺城から入部,芥川郡(後の嶋上郡),嶋下郡やその他の飛地合計3万6000石を領し,幕末まで定着した。京都,大坂の中間地高槻の藩主に譜代大名をあてたのみならず,直清と兄の京都寄りの淀城主永井尚政と所司代の3人が,参勤交代で一斉に畿内を離れないよう配慮され,幕府畿内支配のための要職(大坂城代代行,禁裏造営奉行)などに直清があてられたことからも,幕府の高槻藩主重視が認められる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」