永井直勝(読み)ながいなおかつ

改訂新版 世界大百科事典 「永井直勝」の意味・わかりやすい解説

永井直勝 (ながいなおかつ)
生没年:1563-1625(永禄6-寛永2)

江戸初期の譜代大名通称伝八郎。右近大夫。三河国大浜に生まれる。14歳のとき徳川家康の子信康に付属し,信康死後家康近臣となり,その命により旧来家名長田を改めて永井を家号とした。小牧長久手の戦のとき池田恒興を討ち取るなど軍功あり,つねに家康に近習して対豊臣氏など渉外関係に重要な役割を果たし,下総国古河7万2000石を領した。江戸に定府評定衆に列した。
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朝日日本歴史人物事典 「永井直勝」の解説

永井直勝

没年:寛永2.12.29(1626.1.27)
生年永禄6(1563)
江戸時代前期の下総国古河藩(茨城県古河市)藩主。三河国(愛知県)生まれ。通称は伝八郎,右京大夫に任ぜられる。父は長田重元(直吉)。はじめ徳川家康の子信康に仕えたが,その死後家康に仕え家号を永井に改めた。小牧・長久手の戦では池田恒興の首をとった。関ケ原の戦後,家康の命で室町幕府の典礼にくわしい細川幽斎に有職(古式先例)を学ぶ。家康の信任は厚く,息子の付家老にと望まれたが固辞している。元和8(1622)年古河7万2000石に転封の際には評定の席に列し,これより江戸に定府した。<参考文献>鈴木成元『永井直勝』

(小柴良介)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永井直勝」の解説

永井直勝 ながい-なおかつ

1563-1626* 江戸時代前期の大名
永禄(えいろく)6年生まれ。徳川家康につかえ,天正(てんしょう)12年小牧・長久手(ながくて)の戦いで池田恒興(つねおき)を討つ。上野(こうずけ)(群馬県)小幡(おばた)藩主,常陸(ひたち)(茨城県)笠間(かさま)藩主をへて,元和(げんな)8年(1622)下総(しもうさ)古河(こが)藩(茨城県)藩主永井家初代。7万2000石。寛永2年12月29日死去。63歳。三河(愛知県)出身。本姓は長田。通称は伝八郎。

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世界大百科事典(旧版)内の永井直勝の言及

【永井氏】より

…近世大名。譜代。長田を姓としたが,徳川家康の功臣直勝のとき,長田姓は源義朝を殺害した家筋であるとのことで永井氏に改めた。永井氏が徳川氏と主従関係を結んだのは直勝の父重元で,家康の父広忠に仕え三河国大浜に居住した。直勝は小牧・長久手の戦で,池田(恒興)を討ち取る戦功をあげ,下総国古河で7万2000石を,子尚政は老中となり淀城10万石を領した。1680年(延宝8)尚長が内藤忠勝に殺害されて領地は収公されたが,弟の直円(なおみつ)が大和国新庄で1万石を与えられ,のち櫛羅に陣屋を置いた。…

※「永井直勝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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