永倉町(読み)ながくらちよう

日本歴史地名大系 「永倉町」の解説

永倉町
ながくらちよう

下京区西洞院通松原下ル

南北に通る西洞院にしのとういん(旧西洞院大路)を挟む両側町。南側は万寿寺まんじゆうじ(旧樋口小路)にも面する。

平安京の条坊では左京六条二坊四保一六町東側及び同三坊一保一町西側、平安中期以降は樋口西洞院大路北にあたる。

院政期には、当町東側から藪下やぶした町付近に左京大夫藤原顕輔邸があったといい、近世の「山城名勝志」はその旧跡を「或京程図在五条南西洞院東、一本巽角四分一道祖神社地、又一本北半町」としている。

室町時代、当町西側は、祇園社の洛中散在敷地の一つであったようで、年代不詳だが祇園社領洛中散在敷下地事(祇園社記)に、「一、五条西洞院ヨリ樋口間西」とみえる。また、応永四年(一三九七)九月一七日付の綿売本神人々数事(同書)には、「樋口西洞院西北頬 二人」とあり、当町南側に祇園社を本所とする綿売本座の神人がいたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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