永坂 石埭
ナガサカ セキタイ
明治・大正期の書家,漢詩人
- 生年
- 弘化2年9月(1845年)
- 没年
- 大正13(1924)年8月24日
- 出生地
- 尾張国名古屋(愛知県)
- 本名
- 永坂 周二
- 別名
- 号=一桂堂
- 経歴
- 森春濤、鷲津毅堂に詩を学び、春濤門下の四天王に数えられた。明治7年頃上京し、神田お玉ケ池の梁川星巌旧居址に居を構えて玉池仙館と称し、医業を開業した。書に巧みで石埭流の名をほしいままにし、看板の文字は有名。「読売新聞」の題字を揮毫したこともあった。大正6年玉池仙館を引き払って名古屋に帰った。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
永坂石埭 ながさか-せきたい
1845-1924 明治-大正時代の医師,書家,漢詩人。
弘化(こうか)2年9月生まれ。漢詩は森春濤(しゅんとう)門下の四天王のひとり。明治7年ごろ上京し,神田お玉ケ池の梁川星巌(やながわ-せいがん)旧居跡に医院玉池仙館を開業した。書もよくし,石埭流といわれた。晩年は郷里名古屋にもどり,大正13年8月24日死去。80歳。本名は周二。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 