幕末・明治前期の漢詩人。尾張一宮の人。名は魯直,字は希黄,春濤は号。鷲津益斎の有隣舎で詩を学び大沼枕山(ちんざん)と同門。1874年上京,下谷摩利支天横町に茉莉吟社を設け,翌年,《東京才人絶句》を世に問うとともに詩誌《新文詩》を創刊した。同誌は83年までつづき,子の槐南をはじめ,鷲津毅堂,巌谷一六らの専門の漢詩人はもとより,伊藤博文,山県有朋ら政府高官の投稿を得て明治初期漢詩壇に君臨する勢いを示した。詩は清の問陶,陳文述,郭頻伽らの清新なものを好み,《清廿四家詩》を刊行して世に清詩時代を出現させた。子の森槐南(かいなん)が詩人として名をとどろかしたほか,門下に荷風の父永井禾原(かげん),永坂石埭ら俊秀が多かった。著に《春濤詩鈔》《岐阜雑詩》などがある。
執筆者:村山 吉広
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(揖斐高)
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…漢詩ではまず小野湖山,岡本黄石,大沼枕山(ちんざん)らが現れ,陸游,蘇東坡(蘇軾(そしよく)),黄山谷(黄庭堅)らの宋詩を重んじて詩壇を指導した。ついで現れた森春濤(しゆんとう)・森槐南(かいなん)父子は婦女子の恋愛の感情を詠んだ香奩(こうれん)体の詩や,袁枚(えんばい),趙翼,張船山(張問陶),王漁洋(王士禎)らの清詩をさかんに鼓吹し,本田種竹らとともに明治詩壇(ことに後期)における清詩の流行をもたらした。槐南の門からは野口寧斎が出て詩名をうたわれたが,当時これらの人々と独立して活躍していたのが成島柳北,長三洲らである。…
※「森春濤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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