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鷲津毅堂 わしず きどう

美術人名辞典の解説

鷲津毅堂

幕末・明治の漢学者。愛知県生。字は重光、別号は蘇洲。猪飼敬所に従学、昌平黌出身。維新功臣。司法権大書記官。東京学士会員。明治15年(1882)歿、58才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル大辞泉の解説

わしづ‐きどう〔‐キダウ〕【鷲津毅堂】

[1825~1882]幕末・明治の漢詩人。尾張の人。名は宣光。字(あざな)は重光。毅堂は号。永井荷風の外祖父。昌平坂学問所に学び、尾張藩の儒者となる。維新後は明治新政府に出仕。著作に「毅堂丙集」「親灯余影」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鷲津毅堂 わしづ-きどう

1825-1882 幕末-明治時代の儒者。
文政8年11月8日生まれ。父鷲津益斎,猪飼(いかい)敬所にまなび,昌平黌(しょうへいこう)にはいる。嘉永(かえい)6年上総(かずさ)(千葉県)久留里(くるり)藩につかえた。慶応元年尾張(おわり)名古屋藩の侍読,藩校明倫堂教授となり,勤王のため奔走。維新後,司法権大書記官などをつとめた。明治15年10月5日死去。58歳。尾張出身。名は宣光(のぶみつ)。字(あざな)は重光。通称は九蔵。別号に蘇洲。著作に「薄遊吟草」「親灯余影」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

鷲津毅堂

没年:明治15.10.5(1882)
生年:文政8.11.8(1825.12.17)
幕末から明治期の儒学者,政治家。名ははじめ文郁また重光(のち宣光),通称九蔵。毅堂と号す。尾張人。大沼枕山森春濤の師でもあった父益斎の教えを受け,伊勢の猪飼敬所にも師事。昌平黌に入り,江戸滞在中に清の軍事海防史『聖武記』の抄出本『聖武記採要』を出版(1850)。それが幕府の忌諱に触れて尾張藩籍を失い,房州に一時隠棲。のち上州久留里藩儒となり江戸で講学,再び尾張藩に聘せられ幼君徳川義宜の侍読,明倫堂教授などを務め藩学を刷新した。その間,藩論の勤皇になるとともに藩内佐幕派を摘発。維新後は明治政府の大学少丞,登米県権知事,文部省宣教判官,司法判事,司法少書記などを歴任。東京学士会院会員。下谷の自邸に没。娘婿は永井禾原で,永井荷風の外祖父。<著作>『親燈余影』『毅堂丙集』『薄遊吟草』<参考文献>石黒万逸郎『有隣舎と其学徒』,永井荷風『下谷叢話』

(宮崎修多)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

わしづきどう【鷲津毅堂】

1825~1882) 幕末・明治前期の漢詩人。尾張の人。名は宣光、字あざなは重光、毅堂は号。猪飼敬所に学び、尾張藩に仕え、維新後は政府にも出仕した。永井荷風は外孫。著「毅堂集」

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