永山城跡(読み)ながやまじようあと

日本歴史地名大系 「永山城跡」の解説

永山城跡
ながやまじようあと

[現在地名]日田市丸山二丁目

花月かげつ川の右岸月隈つきくま山に築かれた近世初期の城。初めは丸山まるやま城とも称した。大名居城または代官の陣屋として用いられた。文禄二年(一五九三)太閤蔵入地となった日田郡は毛利高政の支配地であったが、関ヶ原の戦の翌慶長六年(一六〇一)幕府直轄領となり、毛利高政は佐伯さいきに転封となった。しかし元和二年(一六一六)までは引続き毛利氏の大名預地とされ、日田・玖珠くす二郡のうち二万石の代官として着任した小川光氏が友田ともだ村の丸山に仮居を置いた。三年後に移り住んだ月隈山の城を丸山城、城下を丸山町と名付けたという(豊西記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む