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永山弥一郎 ながやま やいちろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

永山弥一郎 ながやま-やいちろう

1838-1877 明治時代の軍人。
天保(てんぽう)9年生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。維新後,開拓使六等出仕兼准陸軍中佐となる。明治8年(1875)の樺太(からふと)千島交換条約に反対して辞任し帰郷。西南戦争では三番大隊長として熊本城攻めに参加,政府軍に敗れ10年4月13日自刃(じじん)。40歳。名は盛弘。号は万斎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

永山弥一郎

没年:明治10.4.13(1877)
生年:天保9(1838)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士。鹿児島城下荒田町の生まれ。戊辰戦争で薩藩4番隊監軍として東北地方に出征して軍功あり。明治2(1869)年,鹿児島常備隊の教導,4年御親兵に選抜されて少佐に任官,次いで開拓使3等出仕になり北海道に赴き中佐に昇任。屯田兵の長を兼務,ロシアの南下に備えんと尽力したが,8年樺太・千島交換条約に憤慨して下野,帰郷した。しかし,政府の施政全般には好意的で私学校党とは政見を異にし,10年西郷挙兵に際しては躊躇したが桐野利秋の勧誘を拒絶しきれず,3番大隊長として熊本に進軍,奮戦したが御船で敗北,自刃して果てた。

(福地惇)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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