朝日日本歴史人物事典 「永山弥一郎」の解説
永山弥一郎
生年:天保9(1838)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士。鹿児島城下荒田町の生まれ。戊辰戦争で薩藩4番隊監軍として東北地方に出征して軍功あり。明治2(1869)年,鹿児島常備隊の教導,4年御親兵に選抜されて少佐に任官,次いで開拓使3等出仕になり北海道に赴き中佐に昇任。屯田兵の長を兼務,ロシアの南下に備えんと尽力したが,8年樺太・千島交換条約に憤慨して下野,帰郷した。しかし,政府の施政全般には好意的で私学校党とは政見を異にし,10年西郷挙兵に際しては躊躇したが桐野利秋の勧誘を拒絶しきれず,3番大隊長として熊本に進軍,奮戦したが御船で敗北,自刃して果てた。
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報