永楽町二丁目(読み)えいらくちようにちようめ

日本歴史地名大系 「永楽町二丁目」の解説

永楽町二丁目
えいらくちようにちようめ

[現在地名]千代田区丸の内まるのうち一丁目

明治五年(一八七二)に成立。南を永楽町一丁目、北から西を道三どうさん堀、東を外堀に限られる。北東呉服ごふく橋で日本橋・京橋へ抜ける。江戸時代には大名だいみよう小路の一画を占め、中央の通りを隔てて西側をたつノ口、東側を呉服橋御門内ごふくばしごもんないと通称。慶長―寛永期(一五九六―一六四四)外様譜代大名旗本、医師の屋敷が混在し(寛永江戸図など)、道三河岸には堀開削時に起立したとみられるふな町とやなぎ町があった(新編千代田区史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む