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汚い戦争 きたないせんそうGuerra Sucia(西)/Dirty War

知恵蔵の解説

汚い戦争

アルゼンチンで1970年代の後半に軍部や警察、右翼が左翼テロ鎮圧を口実に市民を逮捕、連行し、拷問の末に虐殺した「国家によるテロ行為」と呼ばれる人権抑圧事件。多くの市民が連行されたまま行方不明者(デスアパレシードス)となった。犠牲者は、政府調査で判明しただけでも1万5000人を超す。人権団体は、実際の死者は3万人に達すると告発している。連行された人々は銃殺されたり、生きたまま飛行機から海に突き落とされた。責任を明らかにする人権裁判が、3代の軍事評議会の3軍総司令官に対して進められ、当時のビデラ大統領とマセラ海軍総司令官が終身刑を宣告されるなど5人が有罪とされた。夫や子らが行方不明となった女性たちは、真相の究明を求めるため5月広場の母たちという組織を結成。軍政下の77年に、14人の母親が政府への抗議として、首都の大統領官邸前の5月広場で無言のデモ行進を始めて以来、毎週木曜日には行方不明者の写真を胸にデモを続けている。政府は96年10月、犠牲者の遺族に賠償金の支払いを始めた。2005年4月には市民を大量に飛行機から突き落とした元海軍将校がスペイン高裁で禁固640年を宣告された。同年6月には人権抑圧の責任を不問にした2つの恩赦法に違憲判決が出された。これで虐殺に加わった軍人への訴追が可能になり、06年6月に裁判が開始された。

(伊藤千尋 朝日新聞記者 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

汚い戦争
きたないせんそう
Guerra Sucia

1976~83年の軍事政権下のアルゼンチンで,軍部や警察などが引き起こした大規模な弾圧事件。1976年3月,軍事クーデターでビデラ政権が成立して以降,左翼によるテロを鎮圧するという名目で弾圧が行なわれた。逮捕され,拷問などにより殺害されたとみられる行方不明者(デサパレシードス)の数は 1万~3万人ともいわれている。左右両派に対する批判者であった平和運動家アドルフォ・ペレス・エスキベルは,1977年に逮捕され拷問を受けたが,1980年にノーベル平和賞を受賞した。ホルヘ・ラファエル・ビデラののち,ロベルト・ビオラとレオポルド・ガルティエリが軍事政権を引き継ぎ,1982年ガルティエリの後任となったレイナルド・ビニョーネが選挙の実施を公約,翌 1983年に急進市民連盟のラウル・アルフォンシンが大統領となった。この民政移管後,数百人に及ぶ軍関係者の責任が問われ,1985年,ビデラ,ビオラらに有罪判決(ビデラには終身刑)がくだされた。1989~90年,カルロス・サウル・メネム大統領が関係者すべてに恩赦を与えたが,その後あらためて真相究明の動きが起こり,1998年ビデラは自宅軟禁におかれ,2007年に恩赦が取り消され終身刑が確定した。2002年にはガルティエリが自宅軟禁の処分を受けた。2012年には,ビデラとビニョーネに政治犯の乳児誘拐罪で長期の禁錮刑が言い渡された。(→アルゼンチン史

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