江串村(読み)えのくしむら

日本歴史地名大系 「江串村」の解説

江串村
えのくしむら

[現在地名]東彼杵町里郷さとごう、大村市武留路町むるろまち

千綿ちわた村のうちで、千綿宿ちわたしゆく郷の南にあり、くしノ浦に串川、串島くしじまノ鼻の南に江ノ串川が注ぐ。長崎路の一里山が置かれていた(慶安二年肥前国道法帳)中世より江串浦がみえ、武留路山麓にも中世以来の集落が形成されていた。「大村郷村記」に武留路之古城とみえ、本丸は東西四六間・南北四二間で、四方石垣があり、高さは三―五尺、先年刀・矢の根などが掘出されたという。付近に仏岩三社ほとけいわさんしや大明神(如来形線刻石仏)がある。

慶長四年(一五九九)の検地高三三九石余で、大村氏一族の大村喜助の一円知行であった(慶長高帳)。同一〇年の大村領内高目録では「江串村」の高三九六石余で、田二七町一反余・畠一〇町一反余、物成二一八石余。同一二年の一門払いで喜助の知行は廃され、同一七年の総検地で高六〇四石余となるが(同一八年彼杵郡内検高目録)朱印高は三九六石余とされた(元和三年「大村純頼領知目録」大村家記)。慶長国絵図では「江ノ串」とする。慶長一七年の諸士高帳では神浦氏五三石余・大村氏五五石余・井石氏一〇四石・服部氏一二石などの知行。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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