日本歴史地名大系 「江串村」の解説
江串村
えのくしむら
慶長四年(一五九九)の検地高三三九石余で、大村氏一族の大村喜助の一円知行であった(慶長高帳)。同一〇年の大村領内高目録では「江串村」の高三九六石余で、田二七町一反余・畠一〇町一反余、物成二一八石余。同一二年の一門払いで喜助の知行は廃され、同一七年の総検地で高六〇四石余となるが(同一八年彼杵郡内検高目録)、朱印高は三九六石余とされた(元和三年「大村純頼領知目録」大村家記)。慶長国絵図では「江ノ串」とする。慶長一七年の諸士高帳では神浦氏五三石余・大村氏五五石余・井石氏一〇四石・服部氏一二石などの知行。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報