江刺郡(読み)えさしぐん

日本歴史地名大系 「江刺郡」の解説

江刺郡
えさしぐん

和名抄」東急本国郡部の訓注に「衣佐志」とある。史料上の初見は「続日本後紀」承和八年(八四一)三月二日条で「江刺郡擬大領外従八位下勲八等上毛野胆沢公毛人」が外従五位下を借授している。なお「吾妻鏡」文治五年(一一八九)一一月八日条には「柄差」とみえる。近世の郡域は、東は北から閉伊へい郡・気仙けせん郡に接し、西は北上川を境に胆沢いさわ郡、南は磐井いわい郡、北は和賀郡に接する。現在の北上川東岸の江刺市、水沢市東部、北上市南東部にあたる。

〔古代・中世〕

郡名の初見は前記の「続日本後紀」とされるが、延暦二一年(八〇二)胆沢城(現水沢市)造営当初は胆沢郡に含まれていたと考えられ、当郡以北の和賀・稗貫ひえぬき紫波しわの三郡が弘仁二年(八一一)に建郡されていることから(「日本後紀」同年一月一一日条)、当郡の建郡は同年以前とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報