江藤正澄(読み)エトウ マサズミ

20世紀日本人名事典 「江藤正澄」の解説

江藤 正澄
エトウ マサズミ

明治期の神官,考古学者 太宰府神社宮司。



生年
天保7年10月12日(1836年)

没年
明治44(1911)年11月22日

出生地
筑前国夜須郡秋月鷹匠町(現・福岡県甘木市)

旧姓(旧名)
上野

経歴
秋月藩士の二男として生まれる。文久2年(1862年)同藩の医師・江藤家の養子となる。明治元年国学者の立場から藩政改革を建白。3年神祇官権少史、6年太宰府神社宮司を経て、奈良県の川上神社や広瀬神社の大宮司を歴任。初めて奈良県下の寺社宝物を興福寺に集めて博覧会を行った。10年帰郷、膨大な蔵書と考古出土品を売り生計を立てた。20年大社教神官。21年沖縄神宝調査に従事、34年には帝国古蹟調査会福岡支部監事を務めるなど、考古学者として活躍。有職故実学者、社会教育家、歌人としても知られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む