日本歴史地名大系 「池ヶ谷村」の解説 池ヶ谷村いけがやむら 静岡県:静岡市旧安倍郡地区池ヶ谷村[現在地名]静岡市池ヶ谷・池(いけ)ヶ谷東(やひがし)・唐瀬(からせ)一丁目・大岩(おおいわ)四丁目大岩村の北に位置する。浅畑(あさばた)七郷の一つで、中世は浅服(あさはた)郷のうちとみられる(「駿河志料」など)。天正一七年(一五八九)七月七日の徳川家七ヵ条定書(名乎離曾の記)に「いけがや村」とみえる。寛永九年(一六三二)幕府領となる。明暦二年(一六五六)ないし元禄一一年(一六九八)から旗本滝脇松平領、のち小島藩滝脇松平家領として幕末に至る(「寛政重修諸家譜」・明治四年旧桜井県事蹟取調書)。元禄郷帳・天保郷帳・旧高旧領取調帳ともに高二八一石余。 池ヶ谷村いけがやむら 静岡県:静岡市旧安倍郡地区池ヶ谷村[現在地名]静岡市奥池(おくいけ)ヶ谷(や)安倍川支流の中河内(なかごうち)川中流に位置し、南は長熊(ながくま)村。同じ安倍郡内の駿府城下北方に池ヶ谷村があるため、奥池ヶ谷村ともいう(旧高旧領取調帳)。戦国期には池谷と記される。永禄六年(一五六三)五月二六日に今川氏真が朝倉六郎右衛門尉に与えた安部西河内(あべにしごうち)の諸村の棟別銭を免除する判物(写、判物証文写)に一三ヵ所の一つとして「池谷」が含まれている。同一三年二月二〇日の武田家朱印状写(狩野文書)には「壱貫文 池谷」を朝倉弥六郎に宛行ったとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by