町屋敷(読み)マチヤシキ

デジタル大辞泉 「町屋敷」の意味・読み・例文・類語

まち‐やしき【町屋敷】

町にある屋敷。
江戸時代、町人の住む屋敷。町奉行支配下にあった。

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精選版 日本国語大辞典 「町屋敷」の意味・読み・例文・類語

まち‐やしき【町屋敷】

〘名〙
① 江戸時代、町奉行一手の支配に属している町人の居住地。人夫役としての公役(銀)を負担する。町地。
※咄本・かの子ばなし(1690)上「先此ばばいせんは町やしきなりしを御取上なされましたゆへ」
② 寺院の境内にあって、その所有に属し、町役ばかりを出す屋敷の称。〔寺社法則‐上・文化七年(1810)七月二日(古事類苑・宗教四〇)〕
③ 町なかにある屋敷。
※政談(1727頃)二「僅五十両にて調たる町屋鋪有しが」

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日本歴史地名大系 「町屋敷」の解説

町屋敷
まちやしき

鹿児島城の北と南に配された武家屋敷の外縁、海(鹿児島湾)側に位置。鹿児島城の北東方海岸寄りをかん町、同南方海岸寄りをしも町と称する。さらに甲突こうつき川右岸に成立した町を西田にしだ町と称し、大きく三町に区割されていた。上町と下町の境界は鹿児島城本丸と二の丸境から東に延びる堀であった(天保城下絵図)。なお高山彦九郎の「筑紫日記」には「新橋を以テ上下町の境とす」とあり、鹿児島城の北側にある芝土手と琉球りゆうきゆう館前の堀に架かる新橋を境界としている。「薩摩風土記」に町三分、武家七分とあるように、武家屋敷に比べ町屋敷は狭かった。しかし甲突川の川筋直し・浚渫による海岸の埋立、頻繁な火災への防火対策などにより海に限定されながらもしだいに拡張されていった。天保城下絵図では武家屋敷と町屋敷の境界は明確に区分されている。上町には「町口」、その北側に「是より武士小路也」、下町には「松原通、是より西武士小路也」と記され、松並木が境界を形成し、西田町には町門が描かれている。上町・下町の町門は安永四年(一七七五)春に「城下諸々目付」によって建てられたが(三州御治世要覧)、西田町門の設置年代は確認できない。ただし西田橋門は同年三月の建造とされる(列朝制度)。町門設置の背景には同二年に繁栄方が設けられて芝居や茶屋が許可され(三州御治世要覧)、同四年には上築地かみついじ定芝居、西田・南林なんりん寺大門口でも芝居が演じられるなど(同書)、町に活気がみられるようになったことに対応しているとみられる。この城下町振興策は鹿児島藩主島津重豪より実施された。

〔町の形成〕

上町は中世守護町として発達し(倭文麻環)うち城時代は同城を中心に当時の上町・下町が形成されていたとみられる(「上井覚兼日記」天正三年一二月二一日条など)。江戸期の上町は、内城時代の上町と下町を併せての呼称であった。鹿児島城を中心に上町に対峙する位置に下町は造成・展開された。下町発展の契機は鹿児島藩の初代藩主島津家久による川筋直しであった。

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世界大百科事典(旧版)内の町屋敷の言及

【家持】より

…家屋敷の敷地部分は,田畑と同じように高請(たかうけ)地とされ,年貢や高にもとづく諸役(高役)が賦課される場合(在方に多い)と,高請地とされないか,または高請地となっても年貢や高役の両方か高役のみが免除される場合(町方に多い)とがある。後者のような家屋敷は,町屋敷ともよばれる。家屋敷はまた,近世社会における役負担の体系の重要な基礎単位を構成する。…

【七分積金】より

…この節減可能分の2割を地主収入に還元し,1割を各町に留保させ,残る7割を強制的に江戸町方全体に供出させ,これを積み立てて新たな都市政策の財源に充てようと試みた。これが七分積金で,各町の地主が自己の所持する町屋敷から収取する地代店賃上り高から支払うものとされた。また各町留保の節減分を,一分積金として独自に運用する町もあった。…

【町人】より

…近世の商人は,その主要な所有対象として貨幣,商品,船や馬などの運輸手段,土地などを持っていた。このうち土地の主要な部分である町屋敷は,商人にとって住宅や店舗を営む空間であると同時に,みずからの経営にとっての根幹である信用を生み出す根源でもあった。したがって,信用の源泉が町屋敷以外にも得られれば,町屋敷の所有自体は商人にとって不可欠な要件ではなくなる。…

【町役】より

…このために,第1に,(1)~(3)の各レベルの諸負担は全体として,町に居住する町人独自の負担=町役として認識され,百姓にとっての固有の負担=年貢の対極にあるものとして位置づけられることが多かった。また第2に,町役とは町方の家屋敷,すなわち町屋敷という土地に付属した負担という意味を帯びることになった。その結果,町人以外の者でも町方において町屋敷を所持する者は町役を勤める者である,というような用語法が生じることになるのである。…

【拝領町屋敷】より

…幕府の具足同心,黒鍬方,小人方,納戸同心,伊賀者,掃除者といった下級幕臣が組単位で一括して与えられた拝領地に,町家作をしたいとの願い出が多くなったのは寛文~元禄期(1661‐1704)であった。これら下級幕臣に与えられる扶持米では生活を維持できないため,幕府は拝領地の町屋敷化を認めざるをえなかった。この拝領主たちは事実上,店賃をあてにする都市下層民と化していたが,その町屋敷に居住したのは日雇稼ぎ,棒手振(ぼてふり),職人手間取りなどが多く,なかには乞胸(ごうむね)といった困民化した者もいた。…

【屋敷】より

…平坦地農村の百姓の屋敷には,その北側から西北にかけて屋敷林を備えるものがあり,防風,防暑,防火,燃料・用材の採取などを目的にして竹,雑木,松,杉などを植え,これを〈いぐね〉(東北),〈くね〉(関東),〈築地松(ついじまつ)〉(出雲)などと各地各様に呼びならわした。 領主の軍事,政治,経済の拠点としての城下町の建設過程では,城郭を中心に,その周囲に武家屋敷を置き,その周辺に年貢免除の町屋敷を配置し,町割(まちわり)に従って職業別に町屋(まちや)を配列して同業者町を形成した。幕府の職務分掌のあり方では,村方の屋敷については,地方(じかた)の租税徴収を統轄する勘定奉行の掌管事項に含まれていたが,江戸の町屋敷は町奉行の一手支配におかれていた。…

※「町屋敷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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