日本歴史地名大系 「堂島新地」の解説 堂島新地どうじましんち 大阪府:大阪市北区堂島新地正式には元禄元年(一六八八)開発された堂島、安治(あじ)川沿岸の諸町と中之島湊橋(なかのしまみなとばし)町の二〇町をいうが、一般には堂島の新規開発地である堂島新地一―五丁目(うち五丁目のみ現福島区)、堂島新地中(どうじましんちなか)一―三丁目・堂島新地北(どうじましんちきた)町・同裏(うら)町をさし、さらにそのうちの遊所のみをよぶ。新地開発後の繁栄策として、幕府は新地二〇町に茶屋として新規七四株、古町よりの五一株と計一二五株、煮売屋五〇株・風呂屋一株・湯屋三株・芝居二ヵ所を認めた(大阪市史)。このどれが堂島分になるか明確でない。茶屋は茶立女二名、風呂屋にも髪結女を置いたが(同書)、いずれも実際は遊女で、近松門左衛門の「曾根崎心中」のお初は堂島新地天満屋の抱女であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報