池田永治(読み)イケダ エイジ

20世紀日本人名事典 「池田永治」の解説

池田 永治
イケダ エイジ

大正・昭和期の洋画家,漫画家 太平洋美術学校教授。



生年
明治22(1889)年11月1日

没年
昭和25(1950)年12月30日

出身地
京都府京都市

本名
池田 永一路

別名
筆名=池田 永一治(イケダ エイイチジ),牛歩,田牛,田牛作,牛太郎

学歴〔年〕
太平洋洋画会研究所

経歴
太平洋洋画会研究所で学んだのち「文章世界」など雑誌への投稿や、文展・帝展・太平洋画展への出展を行う。明治43年第4回文展で入賞、のちには文展無鑑査となった。一方で漫画家としても活動し、大正初期には売文社の特約執筆家となって「へちまの花」「新社会」などに寄稿。4年には岡本一平・近藤浩一路らと東京漫画会を結成し、大正から昭和初期にかけての「東京パック」でも絵筆をふるった。昭和6年読売新聞社に入社して「読売サンデー漫画」の中心作家となり、第二次世界大戦中には「漫画」誌上で時局漫画を数多く発表。その他、平福百穂・小川芋銭といった洋画家で結成された珊瑚会同人や太平洋美術学校教授などでも活躍。俳画装丁なども手がけた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田永治」の解説

池田永治 いけだ-えいじ

1889-1950 大正-昭和時代の漫画家,洋画家。
明治22年11月1日生まれ。太平洋画会研究所でまなぶ。大正から昭和初期の第2-第4次「東京パック」に漫画を寄稿。昭和6年読売新聞社にはいり,「読売サンデー漫画」で活躍。第二次大戦中は「漫画」に時局漫画を寄稿。文展,帝展,日展に洋画を出品した。昭和25年12月30日死去。61歳。京都出身。本名は永一路。筆名は別に永一治,牛歩,田牛(たのもう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android