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小川芋銭 おがわ うせん

美術人名辞典の解説

小川芋銭

日本画家。東京生。名は茂吉、別号に牛里・草汁庵・芋銭子・芋滄子等。洋画を本多錦吉郎に学び、新聞・雑誌に挿絵・漫画を描くが、平福百穂・川端龍子らの珊瑚会に招かれたのを転機に日本画を製作。のち認められて日本美術院同人となる。作品は水墨淡彩で俳味のある独自の画風を持つ。昭和13年(1938)歿、71才。

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デジタル大辞泉の解説

おがわ‐うせん〔をがは‐〕【小川芋銭】

[1868~1938]日本画家。東京の生まれ。本名、茂吉。本多錦吉郎に洋画を学び、独学で日本画を学ぶ。初め新聞などに風刺的な漫画を描いたが、のち茨城県牛久沼のほとりに住み、湖沼風物や河童をテーマに飄逸(ひょういつ)素朴な文人画を描いた。

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百科事典マイペディアの解説

小川芋銭【おがわうせん】

日本画家。本名茂吉(しげきち)。江戸赤坂生れ。洋画,漢画を学んだ後,1888年《朝野新聞》に漫画を連載。その後,茨城県牛久で農業のかたわら《平民新聞》《ホトトギス》などにさし絵,漫画を描いた。
→関連項目近藤浩一路

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小川芋銭 おがわ-うせん

1868-1938 明治-昭和時代前期の日本画家。
慶応4年2月18日生まれ。本多錦吉郎に洋画をまなび,独学で日本画も習得。「朝野新聞」などに挿絵や漫画をかく。茨城県牛久に移り住み,院展を中心に活動。河童(かっぱ)の絵で知られる。日本美術院同人。昭和13年12月17日死去。71歳。幼名は不動太郎。本名は茂吉。別号に牛里,草汁庵。代表作に「森羅万象」「夕凪」。

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世界大百科事典 第2版の解説

おがわうせん【小川芋銭】

1868‐1938(明治1‐昭和13)
日本画家。東京赤坂の牛久藩邸に生まれたが,牛久村(茨城県稲敷郡)に帰農。幼名不動太郎のち茂吉。別号牛里,草汁庵,芋銭子など。1880年ころ上京,働きながら,本多錦吉郎の画塾彰技堂で洋画を学び,のち日本画を独修した。91年,《朝野新聞》に第1回帝国議会のスケッチが掲載され,93年牛久に帰り農業に従事しながら,《茨城日報》や《いはらき》など,郷里のジャーナリズムに田園風刺漫画を掲載しはじめる。1903年ころ幸徳秋水を知り,《平民新聞》に風刺漫画を発表。

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大辞林 第三版の解説

おがわうせん【小川芋銭】

1868~1938) 日本画家。東京生まれ。本名、茂吉。初め新聞に漫画を連載。のち茨城県牛久沼に隠棲いんせい、田園風景を主題に俳画風の絵を描く。特に、河童かつぱ絵で知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小川芋銭
おがわうせん

[生]慶応4(1868).2.18. 江戸
[没]1938.12.17. 茨城,牛久
日本画家。牛久藩山口家の重臣小川賢勝の長男。名は不動太郎のち茂吉。号は牛里,草汁庵,芋銭,きょ滄子。廃藩置県で江戸から茨城県牛久村に移住。 1880年頃本多錦吉郎に師事。 88年『朝野新聞』にスケッチ漫画を連載し,芋銭の号を使用。 96年以降は主として牛久に住み,農事のかたわら画業に励んだ。また『茨城日報』『平民新聞』,雑誌『文芸界』などに,農民を主題とした風刺的な漫画や挿絵を寄稿。 1915年平福百穂,川端龍子らと珊瑚会を結成。 17年横山大観に認められ日本美術院同人となり,漫画から俳画,文人画へと画境を広げつつ,幻想とユーモアにあふれた特異な画風を築き,特に河童絵の名人として有名。主要作品『樹下石人談』 (1919) ,『若葉に蒸さるる木精』 (21) ,『水魅戯』 (23,茨城県立近代美術館) ,『夕凪』 (24) 。

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世界大百科事典内の小川芋銭の言及

【牛久沼】より

…沼東部にある金竜寺の若僧が牛となって入水したとの伝説がある。沼畔には牛久藩士の子として生まれ,河童の絵を水墨画として多く描いた小川芋銭(うせん)の碑が建つ。国道6号線に沿って川魚料理店が並び,釣客の来遊も多い。…

【明治・大正時代美術】より

…再興の宣言に,〈自由の天地〉で〈吾ら自己の芸術〉をめざすとうたい,大正デモクラシーやヒューマニズムの流れの中で,少数精鋭の団結により,個性尊重の精神をみなぎらせる精進を重ねた。再興日本美術院は小林古径,前田青邨,富田渓仙(1879‐1936),中村岳陵,小川芋銭(うせん)(1868‐1938),北野恒富(1880‐1947),速水御舟,川端竜子,近藤浩一路(1884‐1962),郷倉千靱(せんじん)(1892‐1975),堅山南風(かたやまなんぷう)(1884‐1980)ら,数多くの個性的な日本画家を生み出し,大正から昭和にかけての日本画界を支える中核となった。なお院展洋画部からは,二科展に出品した関根正二とともに,日本の青春ともいうべき大正期の象徴的存在である村山槐多が出ている。…

※「小川芋銭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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