沓懸村(読み)くつかけむら

日本歴史地名大系 「沓懸村」の解説

沓懸村
くつかけむら

[現在地名]黒部市沓掛くつかけ

黒部川左岸にあり、東は荻生おぎゆう村、西は出島でじま開・ヶ開。村の真ん中を南北に北陸街道(下街道)、通称入膳にゆうぜん道が通る。寛永一六年(一六三九)富山藩領となり、万治三年(一六六〇)から加賀藩領。「三州測量図籍」では、三日市みつかいち村から一二町ほど北へ進むと村の入口に一里塚があり、ここから約三町にわたって当村がある。藩政初期には宿場が置かれ、元和二年(一六一六)の三ヶ国宿々役屋高書上(温井家文書)にくつかけ村とみえ役屋高一六軒のうち半分を勤めている。「越中道記」では入膳町(現入善町)より一里三一町四八間、三日市まで二一町とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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