沖波村(読み)おきなみむら

日本歴史地名大系 「沖波村」の解説

沖波村
おきなみむら

[現在地名]穴水町沖波

内浦街道に沿い、北東前波まえなみ村、西はかぶと村。南は能登島(現能登島町)、その背後に立山連峰を望む。天正一一年(一五八三)諸橋村検地帳(諸橋文書)によると、屋敷一町三反余、田方四〇町五反余・畑方一〇町七反余、百姓家数四〇で、当時の諸橋もろはし(諸橋本郷)は沖波・前波・宇加川うかがわ三ヵ村を含んでいた。慶長七年(一六〇二)の鵜川天神堂奉加札(能都町菅原神社蔵)に「弐俵 しほ おきなミ□□」とみえる。元和二年(一六一六)と同六年の総検地で諸橋村は前記三ヵ村に分立。同三年の諸橋三ヵ村検地帳(諸橋文書)によると田方一一町六反余・屋敷あさはた六反・畑方四町五反余のほかに、はん志つ郎分・高さか分・二郎兵へ分・てらし分という有力者の歩数が別に列記される。これより先の慶長九年の十村制度により諸橋郷一帯の村々は諸橋組に編成され、扶持百姓の次郎兵衛が組を裁量した(同文書)正保郷帳では高三三七石余、田方一六町三反余・畑方六町二反余、新田高三四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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