沖縄県祖国復帰協議会(読み)おきなわけんそこくふっききょうぎかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「沖縄県祖国復帰協議会」の意味・わかりやすい解説

沖縄県祖国復帰協議会
おきなわけんそこくふっききょうぎかい

沖縄祖国復帰運動の推進母体となった統一組織。復帰協と略す。1960年(昭和35)4月に結成されて以来、毎年4月28日(対日講和条約発効の日)の沖縄デーを中心に復帰要求の県民運動を推進した。沖縄教職員会など各界46の有力団体が加盟し島ぐるみの超党派的運動を構築し、復帰要求だけでなく、反戦反基地闘争、自治権拡大運動、生活擁護・人権擁護運動などにも取り組み、県民運動センターの役割を果たした。復帰実現(1972)後の77年5月15日解散。

[大城将保]

『沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会編『沖縄県祖国復帰闘争史』(1982・沖縄時事出版)』

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百科事典マイペディア 「沖縄県祖国復帰協議会」の意味・わかりやすい解説

沖縄県祖国復帰協議会【おきなわけんそこくふっききょうぎかい】

沖縄県民の本土復帰運動の中心団体。1960年4月28日,沖縄自由民主党を除く各政党および沖縄県教職員会など民主団体が参加して結成。初代会長は屋良朝苗(1968年主席)。1972年5月日本への復帰を実現。
→関連項目沖縄[県]祖国復帰運動

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「沖縄県祖国復帰協議会」の解説

沖縄県祖国復帰協議会
おきなわけんそこくふっききょうぎかい

沖縄の日本への復帰運動を推進した中心母体。略称復帰協。1960年(昭和35)4月28日(対日講和条約発効の「屈辱の日」)に,沖縄教職員会・沖縄青年団協議会・官公労の3団体をはじめとする主要民主団体,およびPTAや遺族連合会などを含む幅広い組織で結成。以後復帰運動は高揚し,国民的運動へと展開した。具体的な政治政策を掲げて復帰運動を推進したことにより,その後の革新共闘の母体の役割もはたした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沖縄県祖国復帰協議会」の意味・わかりやすい解説

沖縄県祖国復帰協議会
おきなわけんそこくふっききょうぎかい

沖縄教職員会」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の沖縄県祖国復帰協議会の言及

【沖縄[県]】より

…これは沖縄民衆の占領支配に対する権利要求の集約的表現となっている。60年4月28日,沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が結成され,運動の母体となり,復帰協に参加した各種の団体は対日講和条約の発効した4月28日を〈屈辱の日〉として,この日を中心に統一と団結のスローガンの下に統一戦線的性格を堅持し,運動を深化させていった。 復帰運動の理念は日本国憲法の民主主義と平和主義の精神を異民族支配下の特殊政治状況の中で実現化するところにあり,それは復帰協に結集する沖縄民衆の闘争の蓄積によって支えられていた。…

※「沖縄県祖国復帰協議会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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