日本歴史地名大系 「沢岻親方墓」の解説 沢岻親方墓たくしうえーかたのはか 沖縄県:那覇市旧島尻郡地区識名村沢岻親方墓[現在地名]那覇市繁多川四丁目識名(しきな)宮の北方に位置する。沢岻親方(一五二六年没)は名を盛理といい、唐名(中国名)毛文英、童名を樽金と称した。尚真王(在位一四七七―一五二六年)代の正徳年間(一五〇六―二一)に三司官に任じられ、嘉靖元年(一五二二)明の世宗即位の慶賀使として北京に派遣された。盛理は国王に進上するため鳳凰轎と吐水石竜頭を買求め帰国。このときほかの三司官から国王の命なしに多額の国費を用いて購入したことを責められ、那覇港南岸の垣花(かちぬはな)に留め置かれた。しかし尚真王に許され復帰、持帰った鳳凰轎は大御轎・塔御轎とよばれ国王の乗轎に用いられ、石竜頭は首里城瑞泉(ずいせん)門の湧水に取付けられ「龍樋」とよばれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by