朝日日本歴史人物事典 「河上弥市」の解説
河上弥市
生年:天保14.1(1843)
幕末の長州(萩)藩の志士。名は正義。弥市は通称で弥一とも称す。長州藩八組士河上忠右衛門の子として金谷(萩市椿)に生まれる。禄高103石。文久3(1863)年6月,高杉晋作の奇兵隊結成に参加。9月,高杉のあとを受けて滝弥太郎と共に奇兵隊総督を務めた。10月,七卿落ち公卿のひとり沢宣嘉を擁して但馬国生野(兵庫県生野町)に挙兵,10月12日,生野代官所を占拠した。天誅組が壊滅し近隣諸藩が鎮圧に動くなか,強硬論を主張して迎撃のため山口村に陣を張ったが,生野の本隊は解陣,離反した農兵に囲まれたため自刃した。年は21。その鉢巻きには「後れては梅も桜におとるらん魁てこそ色も香もあれ」と書きつけてあった。
(三宅紹宣)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報