人間の行為を,正しい,正しくないというように判断するための基準が正義である。正義の古典的定義として有名なのは,ローマ法学者ウルピアヌスの〈各人に彼のものを与えんとする恒常的意思〉という定義であるが,さらにその源をたどればアリストテレスの正義概念にさかのぼる。アリストテレスは,正義とは均等的,〈価値に相応の〉ということであり,不正とは不均等的,〈過多をむさぼる〉ことであるとした。そしてそのうえで二つの均等があるとし,配分的正義と矯正的正義とを区別する。配分的正義とは,共同的な事物の配分に関する正義であり,配分における彼の価値にふさわしい分けまえを意味する。矯正的正義とは,取引の均等とか罪と罰の均等ということを意味し,たとえば取引において一方が不正に利益を得て他方が不正の損害を受けることがないということである。また犯罪における矯正的正義についてアリストテレスは,Aが殴打されBが殴打する場合Aは損失をうけBは利得をえている,そこで裁判官はBから利得を奪い,罰という損失によってAとBの均等化を行う,と述べている。〈各人に彼のものを〉または均等的ということによって正義概念を定式化しようとする試みに関しては,それが果たして実質的内容または基準を有する定式であるのかどうかという問題が生じる。もし〈各人に彼のものを〉という定式を形式的であり,この定式自体は何が均等であり,価値にふさわしいかについて何も語っていないと解するならば,正義は時代と社会が異なるにしたがって異なるものであり,絶対的正義は存在せず相対的正義のみが存在するということになる。これは正義の相対主義の主張であり,これに対しては普遍的正義を主張する側からの反対が存在する。
正義の概念は古来から法と不可分の関係にあるとされてきた。ギリシアにおいて法を意味するディケdikēと正義を意味するディカイオシュネdikaiosynēは密接に結びついていたし,今日でもjusticeは正義という意味のみでなく司法,裁判所の意味を有している。
正義が均等や法と密接な関係にあるということは,正義がある秩序または調和を示す概念であることを示唆している。この意味で正しい行為とは基準やルールに従う行為であるばかりでなく,秩序や調和に従う行為であり,不正な行為とは秩序や調和から逸脱する行為である。この秩序や調和は,人間以外の動物にとっては程度の差はあれ一義的にはっきりしている。それは本能の秩序である。動物はこのいわば自然の秩序に厳格に従うことによって生存を保っているのであり,自然の秩序から逸脱する個体には死が待ちうけている。これに対して人間にはこのような本能の秩序は望むべくもない。人間は言語を有することによって本能の秩序から抜け出たのであり,人間に部分的に残っている本能はそれだけでは秩序形成力を有しない。そしてここに正義概念が成立する機縁があるのであり,人間が実現しうるあるいは実現すべき秩序状態,調和状態とはいかなるものかが問題となる淵源がある。
しかしこの秩序と調和がなんであり,正義がなんであるかについては古来から対立が存在する。一方で,人間の本能は壊れている以上欲望は歯止めを失い止まるところを知らず,そのままでは欲望の衝突と争いは不可避であるとし,そこで人間は言葉によって取決めを行いルールを設定しそれを正義と呼ぶのである,という考え方が存在する。この考え方はソフィストにまでその源をたどることができるが,近世においてこの考え方を徹底して主張したのはホッブズである。ホッブズは,人間は言語によって想像の自然の流れ(=本能の秩序)から切り離されてしまっており,そのままでは人間は自己欺瞞的自尊心vain-gloryによって相互不信の状態におちいらざるをえない,と説く。それゆえ人間は自然の状態においては戦争状態にある。そこで人間はこのような戦争状態を脱却するために契約によって国家=正義を作り出したのである。
このような〈必要にせまられた人為の産物〉としての正義という考え方に対して,人間が理性という超越的能力によって創出すべき秩序,調和状態としての正義という考え方がある。この考え方の代表的思想家はプラトンである。プラトンは正義を善のイデア=〈神的にして秩序あるもの〉であるとし,人間は善のイデアを超越的能力である理性によって観照しうるとした。善のイデアはある数的調和を示す概念として考えられており,経験によって得られるものではなくむしろ経験を超えたところに存在する超越的概念である。プラトンはこの善のイデアに従って個人が生活し国家が統治されるときに個人の正義と国家の正義が実現されると考えた。
この〈必要最小限の正義〉と〈普遍的正義〉の対立に加えて,人間は本能の秩序を失った代償として競争の秩序を形成しうるのであり,この競争という行為枠組みの中で正・不正が問題となるという考え方が存在する。人間は本能の秩序を喪失したが,言語を用いることによって相互不信の状態におちいっている狂ったサルではない。むしろ人間には言語を使用しうる前提として自己と自己以外の外的対象をよりよく知ろうとする欲求能力が備わっており,この人間的欲求に基づく言語使用によって人間は競争という人間に特有の秩序を生み出すのである。このような見解の近世における代表としてはD.ヒュームとA.スミスを挙げることができる。彼らは競争という秩序をconventionとか社会的信頼関係reasonable expectationとして性格づけており,このような秩序の中においてのみ人間の行為の正・不正が問題となりうると主張した。
執筆者:桂木 隆夫
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正義は、古代ギリシア・ローマ時代以来、「各人に各人の分を」suumcuiqueという簡潔な標語で一般に言い表されてきた。つまり、その人に相応するものをその人に帰属させることが正義であるとされるが、その人の当然の取り分をその人に与えるという「分配の正義」である場合もあれば、その人のなしたことに対して当然の報いを受けるという「応報の正義」である場合もある。古代ギリシアのソフィスト派に属するトラシマコスが、正義を「強者の利益」と規定したのに対して、プラトンは「権力」と「権利」との区別を明確にして、「正義」を国家の備えるべき至高の徳とした。アリストテレスは正義を「配分的正義」と「応報的正義」に分け、後の正義論に大きな影響を与えた。
正義というラテン語、およびそれと関連する西欧語には、「法」あるいは「権利」jus Rechtという語が含まれている。したがって正義の問題は、法の問題と深い関係をもつものと考えられてきた。しかもこの場合の「法」は、現実の実定法(成文法、不文法)に限らず、神法、自然法にも関係するから、正義の問題は、倫理学、法哲学、法学、政治哲学などにおいて従来広く論ぜられてきた。正義は国家や社会制度の基準とされ、法において体現される場合もあれば、逆に悪法を批判する原理ともなりうるのである。
ところで、正義に関する議論は、具体的には平等の問題としていろいろと論ぜられてきた。また法律上は、とくに「衡平(法)」equityの問題としてコモン・ロー(慣習法)の不備を補う原則として用いられている。
最近では正義の問題は、とくに「社会正義」social justiceという形で、現代世界における貧富の格差と社会経済的搾取や不平等、差別や人権侵害、政治的抑圧や軍事的暴力的対立と抗争などの諸問題を告発し、その解決を求める人道的人類的課題を呈示するものとして注目されている。
[飯坂良明]
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… 代表作《フォーサイト家物語》にはビクトリア朝末期から第1次大戦を経て1926年のゼネストに至る世相が巧みに描かれており,社会史的資料としても興味深い。また劇作家としてもすぐれ,処女作《銀の箱》(1906)のほか,ストライキの裏面を暴露した《闘争》(1909),監獄制度の改善を促すことになったといわれる《正義》(1910)などの社会的関心の強い作品を数多く発表している。これらの全作品を一貫して流れる基調は自由主義的改良主義であり,それが一時知識階級の反感を買ったが,第2次大戦後には《フォーサイト家物語》がテレビ上映され好評を博した。…
…最初の詩集《スタンスと詩Stances et poèmes》(1865)によって認められ,高踏派の雑誌に寄稿するようになるが,《試練Les epreuves》(1866)や《孤独Les solitudes》(1869)など内面的思索を主題とする彼の詩は,高踏派の詩とは本質的に異なる。そしてしだいに哲学的傾向を強め,《正義La justice》(1878),《幸福Le bonheur》(1888)などの長編の〈哲学詩〉の創作にいたる。1881年アカデミー・フランセーズ会員となり,1901年ノーベル文学賞を受賞。…
…衡平は法および正義と密接な関係をもつ価値理念である。法の理念である正義は〈等しきものを等しく〉扱うことを求める。…
…スミスによれば,人間は利己心のほかに〈同感の原理〉をもつ。その同感の原理による是認という営みがいろいろな徳性を自立させる根源であり,〈正義〉もそのような徳性の一つとして自立するが,それは社会存立の不可欠の条件である。近代社会の市民政府は,この正義の確保,つまり人々の生命・身体と財産の保全を任務とする。…
…しかし,一つの経書にも数種の異なるテキストが存在し,それぞれが異なった解釈をしたため,漢代では対立と論争が繰り広げられた。唐の太宗は勅命により,640年(貞観14)それまで不統一であった《周易》《尚書》《毛詩》《礼記(らいき)》《春秋左氏伝》の五経を校定させ,それに基づいて《五経正義》を作らせた。ここに五経の解釈は定着し,注を敷衍してさらに注釈した〈正義〉が生まれたのである。…
…新しいはかりの出現は1875年の〈度量衡取締条例〉によって秤座が解体した後に始まった。【林 英夫】
【象徴】
はかりは古代より〈裁き〉と〈正義〉の象徴とされ,また犯した悪業に見合う罰を定める機能により〈復讐〉の意味をも含む。したがってこれらをつかさどる神々,たとえばエジプトのオシリス,トート,マアト,ギリシアのテミス等は,はかりを持物とする。…
…現代法哲学は次の三つの主要部門から成っている。(1)正義の理論,(2)法および法学の諸問題に関する論理分析,(3)法の歴史哲学(なお,ソ連および東欧諸国においては,〈法と国家の理論〉と呼ばれる学問分野が西側諸国でいうところの法哲学を包含している)。
【正義の理論】
この部門においては,すでに古代からインド,中国,バビロニア,イスラエルなどにおいて,哲学的な思索が行われた。…
※「正義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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