河井町(読み)かわいまち

日本歴史地名大系 「河井町」の解説

河井町
かわいまち

[現在地名]輪島市河井町

河原田かわらだ川と鳳至ふげし川の合流点の北、輪島川の東岸に位置する。合流点のため河合の地名となり、のち河井と記されたという(能登名跡志)近世には対岸鳳至町とともに輪島両町とよばれた。

仁平三年(一一五三)一二月二八日に書写された大般若波羅蜜多経巻四九(光栄寺蔵)の奥書に「川合宮一筆経也」とあるが、のちの河井にかかわるか否かはなお検討を要する。文明八年(一四七六)九月日の河井寺社申状写(重蔵神社文書)は検討の余地があるが、「河井寺社」とあり、これは重蔵じゆうぞう(重蔵神社)栄宗えいしゆう寺・観音寺神林しんりん寺をさすと思われる。重蔵宮の年中行事に対する近隣の寺家・社家や百姓らの社役勤仕について詳細に記録され、河井の寺社・衆徒・百姓等が散見され、随時社役を勤めていた。永正九年(一五一二)五月一八日の定栄田地寄進状案(同文書)によれば、「河井馬庭観音堂」に寄進された五〇刈の地は「薬師堂之後、新保之分内」にあって諸役皆免とされた。同一六年正月には温井孝宗が「川井保重蔵宮」に絵一枚を寄進したと思われるが(「温井孝宗奉納絵銘文写」同文書)、詳細は不明。大永四年(一五二四)五月一八日の重蔵宮造立棟札拓本(同文書)に「大屋庄輪嶋河井村」とあり、享禄四年(一五三一)六月吉日の重蔵宮神輿銘(明治神社明細帳)に「小代官玉蔵坊河井町於西円寺興之」「鍛大工 河井町藤原朝臣兼則孫左衛門 十疋」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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