日本歴史地名大系 「重蔵神社」の解説
重蔵神社
じゆうぞうじんじや
文明八年(一四七六)六月六日重蔵宮の講堂が建立されている(「重蔵宮講堂建立棟札拓本」重蔵神社文書)。願主は重蔵座主観音寺住持沙門金資快珍で、地頭神保式部尉光保(元保)・温井備中守俊宗ら外護者とみられる武士の名や、番匠の重蔵大工衛門次郎藤栄のほか鍛冶大工・小工・塗師の名がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
文明八年(一四七六)六月六日重蔵宮の講堂が建立されている(「重蔵宮講堂建立棟札拓本」重蔵神社文書)。願主は重蔵座主観音寺住持沙門金資快珍で、地頭神保式部尉光保(元保)・温井備中守俊宗ら外護者とみられる武士の名や、番匠の重蔵大工衛門次郎藤栄のほか鍛冶大工・小工・塗師の名がみえる。
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石川県輪島市河井町に鎮座。祭神は天冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)。本地は十輪地蔵。重蔵(へくら)宮、十蔵権現(ごんげん)、重倉(へくら)明神とも称する。『延喜式(えんぎしき)』「神名帳」能登国(のとのくに)鳳至(ふげし)郡に登載の鳳至比古(ひこ)神社、あるいは辺津比咩(へつひめ)神社にあてられる。中世、石動山(いするぎさん)天平寺(てんぴょうじ)の支配下に置かれ、七堂伽藍(がらん)を備え、多くの社僧がいた。近世に入ると、金沢藩主前田氏の庇護(ひご)を受け、鳳至一郡の惣社(そうじゃ)として栄えた。1918年(大正7)県社に列す。宝物に平安時代末期~鎌倉時代初期の作という木造菩薩(ぼさつ)面(重文)がある。8月23日の例祭(御採祭(おさいまつり))、3月1日~7日の如月祭(きさらぎまつり)は有名。能門(のと)氏が累代(るいだい)神職家を踏襲している。
[三橋 健]
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