日本歴史地名大系 「河原波村」の解説 河原波村かわらなみむら 富山県:魚津市河原波村[現在地名]魚津市河原波角(かど)川左岸にあり、西は鉢(はち)村、南は虎谷(とらだに)村。江戸前期まで加賀藩の越中七金山の一つとして金山が栄え、河原波金山(三州志)・河原波加禰山(三州地理志稿)と称された。天文二年(一五三三)三月向上(むかいがみ)谷で鉱床が発見され、翌年に銀(ぎん)谷・木落(きおと)シ山でも鉱脈が掘当てられた。天正年中(一五七三―九二)に松倉(まつくら)城主であった越後の河田長親に運上銀を納めたという。慶長(一五九六―一六一五)頃が最盛期で、家数は三六〇もあった。寛文(一六六一―七三)頃から衰微しはじめ、延宝年中(一六七三―八一)には飢饉などがあって家数は七〇となり、元禄一〇年(一六九七)を過ぎると七戸となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by