朝日日本歴史人物事典 「河合智月」の解説
河合智月
生年:寛永10頃(1633)
江戸初期の俳人。山城国(京都府)宇佐の生まれ。大津の伝馬役兼問屋役河合佐右衛門の妻。貞享3(1686)年ごろ夫に死別して尼となり,弟の乙州(芭蕉に「梅若菜鞠子の宿のとろろ汁」の餞別句を送られた蕉門の俳人)を養嗣子とした。蕉門きっての女性俳人として知られ,元禄2(1689)年12月以降,芭蕉を自宅に迎える機会が多く,同4年東下する芭蕉から『幻住庵記』を形見に贈られた。森川許六はその作風を「乙州よりまさる」(『俳諧問答』)と評しながら,「五色の内,ただ一色を染め出だせり」(『青根が峯』)と単調,平板な点も指摘している。
(加藤定彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報