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河尻幸俊 かわしり ゆきとし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河尻幸俊 かわしり-ゆきとし

?-? 南北朝時代の武将。
肥後(熊本県)飽田(あきた)郡河尻荘を本拠に活躍。貞和(じょうわ)5=正平(しょうへい)4年(1349)足利直冬(ただふゆ)が高師直(こうの-もろなお)の命をうけた杉原又四郎に急襲されたとき,備後(びんご)(広島県)鞆(とも)の津から海路肥後河尻津にむかうのをたすける。のち直冬が九州探題になると,その恩賞として肥前守護に任じられた。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

河尻幸俊

生年:生没年不詳
南北朝時代の武将,国人。肥後権守。飽田郡河尻荘(熊本市)を本拠に代々源姓を称す。鎌倉時代,祖父と思われる泰明は押領使を務め,大慈寺(曹洞宗)を開く。貞和5/正平4(1349)年9月,幸俊は追われる足利直冬(直義の猶子)を備後国鞆の津から海路肥後国河尻津へ導き,以後九州で直冬党(佐殿方)形成に中心的役割を担った。その活躍は『太平記』にもみえる。観応2/正平6年,直冬が九州探題に補任されると,恩賞として肥前国守護に任ぜられるが,近隣の甲佐社領守富荘を押領するなど旧来の権威や勢力を恐れぬ行動がみられる。直冬招致にかけた働きは,南朝にも北朝にも不満を抱く地方国人の,一国的規模での領主たろうとする意図の表れではなかったか。

(柳田快明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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