朝日日本歴史人物事典 「河尻幸俊」の解説
河尻幸俊
南北朝時代の武将,国人。肥後権守。飽田郡河尻荘(熊本市)を本拠に代々源姓を称す。鎌倉時代,祖父と思われる泰明は押領使を務め,大慈寺(曹洞宗)を開く。貞和5/正平4(1349)年9月,幸俊は追われる足利直冬(直義の猶子)を備後国鞆の津から海路肥後国河尻津へ導き,以後九州で直冬党(佐殿方)形成に中心的役割を担った。その活躍は『太平記』にもみえる。観応2/正平6年,直冬が九州探題に補任されると,恩賞として肥前国守護に任ぜられるが,近隣の甲佐社領守富荘を押領するなど旧来の権威や勢力を恐れぬ行動がみられる。直冬招致にかけた働きは,南朝にも北朝にも不満を抱く地方国人の,一国的規模での領主たろうとする意図の表れではなかったか。
(柳田快明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報