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九州探題 きゅうしゅうたんだい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

九州探題
きゅうしゅうたんだい

室町幕府が九州統制のためにおいた職名。延元1=建武3 (1336) 年2月鎮西に逃れた足利尊氏が,同年3月筑前多々良浜の戦いで勝ち,同4月東上の際,一色範氏鎮西探題として博多にとどめたのに始る。

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デジタル大辞泉の解説

きゅうしゅう‐たんだい〔キウシウ‐〕【九州探題】

室町幕府の職名。足利尊氏(あしかがたかうじ)鎌倉時代鎮西(ちんぜい)探題にならい、九州統轄のために置いたもの。応仁の乱以後は名目だけになった。

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百科事典マイペディアの解説

九州探題【きゅうしゅうたんだい】

九州の統制のため室町幕府が設けた職名。初めは鎮西管領(ちんぜいかんれい)・鎮西探題と称された。1336年九州に敗走した足利尊氏が再び東上する際,一色範氏を初代鎮西管領としたのがはじまり。
→関連項目足利直冬一色氏今川貞世渋川満頼探題福岡[県]

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世界大百科事典 第2版の解説

きゅうしゅうたんだい【九州探題】

室町幕府が九州統制のため博多においた職,広域行政機関。初めは鎮西管領,鎮西探題とも称される。1336年(延元1∥建武3),九州に敗走した足利尊氏が,筑前多々良浜合戦で勝機を得,大挙東上する際,一色範氏を九州にとどめて幕府軍を統轄させたのが始まり。その後この職にあったのは,南北朝期は一色直氏足利直冬斯波氏経渋川義行今川貞世と転変するが,両朝合一後は代々渋川氏であった。
[南北朝期]
 初代鎮西管領一色範氏は,一族を軍事指揮者として九州各国に派遣したが,46年(正平1∥貞和2)子息直氏を下向させ,以後は父子一体となってその政務をとる。

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大辞林 第三版の解説

きゅうしゅうたんだい【九州探題】

九州地方を統轄する室町幕府の職名。鎌倉幕府の鎮西探題にならったもの。1336年、足利尊氏が南朝勢力制圧のため一色範氏をこれに任じたのに始まる。71年、今川了俊がその職に就いて九州を完全統治。のち、渋川氏が世襲したが応仁の乱後は有名無実となった。筑紫つくし探題。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

九州探題
きゅうしゅうたんだい

室町幕府が九州統制のために設けた職。1336年(延元1・建武3)九州に敗走した足利尊氏(あしかがたかうじ)が、再挙東上する際、一色範氏(いっしきのりうじ)(法名道猷(どうゆう))をとどめて九州幕軍の最高責任者として九州経営にあたらせたのが始まりである。探題の権限は幕府方の武士に対する軍事指揮を中核とし、民事関係の訴訟については、相論の内容を調査して幕府に注進し、この裁定を施行することであった。範氏ののち子息直氏(なおうじ)が父とともに事にあたり、また足利直冬(ただふゆ)、斯波氏経(しばうじつね)らが九州探題の任についたが、南朝方の征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)(懐良(かねよし)親王)の軍に圧迫されて振るわず、1365年(正平20・貞治4)8月探題に任ぜられた渋川義行(しぶかわよしゆき)などは中国のあたりを往返するだけで、ついに九州に入ることができず、帰京するというありさまであった。しかし、1371年(建徳2・応安4)2月、今川貞世(さだよ)(法名了俊(りょうしゅん))が挙用されその任につくや、しだいに宮方を制圧し、九州経営が進められた。1396年(応永3)渋川満頼(みつより)がかわり、以後同氏が世襲したが、応仁(おうにん)の乱(1467~77)後はほとんど有名無実となった。[上田純一]

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世界大百科事典内の九州探題の言及

【探題】より

…室町幕府では幕府や関東府の管領・執事が探題と呼ばれた例はなく,それ以外の広い地域の管領権を有する職についてのみ探題と呼ばれた。九州を管領する九州探題,陸奥・出羽2国を管領する奥州探題とそれから分化して出羽1国を管領する羽州探題等である。このほか南北朝期の中国管領(中国探題)細川頼之や戦国期の羽柴秀吉の中国探題などの例もある。…

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