デジタル大辞泉 「貞和」の意味・読み・例文・類語 じょうわ〔ヂヤウワ〕【貞和】 南北朝時代、北朝の光明天皇・崇光すこう天皇の時の年号。1345年10月21日~1350年2月27日。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「貞和」の意味・読み・例文・類語 じょうわヂャウワ【貞和】 北朝の光明・崇光(すこう)天皇の代の年号。康永四年(一三四五=南朝興国六年)一〇月二一日、水害、疾疫などのため改元。貞和六年(一三五〇=南朝正平五年)二月二七日に観応元年となる。将軍足利尊氏の時代。出典は「芸文類聚」の「体二乾霊之休徳一、禀二貞和之純精一」。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「貞和」の解説 じょうわ【貞和】 日本の元号(年号)。室町時代(南北朝時代)の1345年から1350年まで、光明(こうみょう)天皇、崇光(すこう)天皇の代の北朝が使用した元号。前元号は康永(こうえい)。次元号は観応(かんのう)。1345年(康永4)10月21日改元。天災の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』を出典とする命名。貞和年間の南朝の天皇は後村上(ごむらかみ)天皇。南朝では、興国(こうこく)(1340~1346年)、正平(しょうへい)(1346~1370年)の元号を使用した。室町幕府の将軍は足利尊氏(たかうじ)(初代)。1347年(貞和3/正平2)、南朝方の楠木正行(まさつら)(楠木正成(まさしげ)の嫡男)は、摂津国の天王寺・住吉浜で北朝・幕府方の山名時氏(ときうじ)・細川顕氏(あきうじ)連合軍を撃破したが、翌年の四條畷(しじょうなわて)の戦いで、高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)兄弟の軍勢に破れ自害した。その後、高師直は南朝の拠点である吉野を攻略し、後村上天皇が避難する事態となった。この頃から、尊氏の実弟の足利直義(ただよし)と高師直との対立が激化。1349年(貞和5/正平4)には、直義が逃げ込んだ尊氏邸を師直の軍勢が包囲し、直義の執務を停止させた。◇「ていわ」とも読む。 ていわ【貞和】 ⇒貞和(じょうわ) 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報
普及版 字通 「貞和」の読み・字形・画数・意味 【貞和】ていわ 正しくなごやか。魏・曹植〔漢の二祖の優劣論〕世(光武)は乾靈(天の神)の休(大徳)を體し、貞和の純を稟(う)けたり。字通「貞」の項目を見る。 出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報