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河崎董 かわさき ただす

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河崎董 かわさき-ただす

1823-1871 幕末の砲術家。
文政6年4月15日生まれ。長門(ながと)(山口県)府中藩士。幕臣下曾根金三郎オランダ式砲術をまなぶ。嘉永(かえい)7年大砲6門を鋳造。西洋流銃陣教授方となり,文久3年下関砲台を築造。慶応元年幕長戦争にさきだち,高杉晋作と戦略をねった。のち軍監,軍政管事を歴任。明治4年4月27日死去。49歳。本姓は羽仁。名は頼房。通称は別に虎吉。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

河崎董

没年:明治4.4.27(1871.6.14)
生年:文政6.4.15(1823.5.25)
幕末維新期の兵・砲術家。長府藩(長州藩の支藩,山口県)藩士羽仁源右衛門の長男。傷害事件を起こして家督相続ができず,同藩士河崎順之助の養嗣子となる。嘉永6(1853)年江戸藩邸詰,ペリー来航に伴う長府藩の江戸湾防備に参加し,このとき来原良蔵と親交を持ち洋式兵制導入の必要を痛感,以後藩の兵制改革に尽力。下曾根金三郎にオランダ式砲術・銃陣を学び,幕府講武場にも入所,安政1(1854)年には江戸藩邸内のオランダ式大砲鋳造の主任者となり,計6門を鋳造。特に20センチ砲はのち長州征討,北越,会津の戦いでも威力を発揮した。このときに藩で開始された洋式銃陣の主任教授を務め調練に当たった。同3年帰藩,西洋砲術指南役として門人を教育する一方,藩の海防掛を命じられ領内沿岸の砲台築造の任に当たり,火薬および銃砲の製造にも努めた。長州征討の際は砲台の不足を補うために数千の地雷を敷設,北越の戦いでは器械,弾薬の製造,運輸などの全般にわたって活躍した。<参考文献>徳見光三『長府藩報国隊史』

(田浦雅徳)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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