河床村(読み)かわとこむら

日本歴史地名大系 「河床村」の解説

河床村
かわとこむら

[現在地名]玉名市かわ

村央付近を繁根木はねぎ(錦川)が南流し、東は箱谷はこだに村、西は石尾いしのお村・福山ふくやま村、南は北石貫きたいしぬき村、北は坂下さかのした(現玉名郡南関町)と接する。文中二年(一三七三)一二月一三日の菊池武安寄進状(広福寺文書)広福こうふく寺に寄進された寺領四至の除外分に「河床名内田畠」があるが、元中六年(一三八九)二月三日には河床の田畠山野が同寺に寄進され(「菊池武照寄進状」同文書)、同年と推定される三月二一日の菊池武照書状(同文書)によって牧越後守に同寺への打渡を命じている。天文二年(一五三三)一一月一〇日に石貫や上長田かみながた(現玉名郡南関町)などと小代重忠に宛行われた「河徳拾弐町」は、当地と推定される(「大友義鑑宛行状」小代文書)


河床村
かわとこむら

[現在地名]諫早市川床町かわとこちよう

小川おがわ村の東に位置し、川床川が流れる。近世は諫早郷に属し、はじめ肥前佐賀藩親類同格の諫早家領であったが、元和七年(一六二一)に佐賀本藩に上知されたうちの一村とされる。正保国絵図に「川床村」とあり、高三一二石余。寛文四年(一六六四)の鍋島光茂領知目録(寛文朱印留)では河床村とし、元禄国絵図でも高三一二石余。宝暦二年(一七五二)の佐賀領郷村帳では川床村とする。天保一四年(一八四三)の諫早郷鑑によれば、田畠五一町四反余・地米二三二石余で、一人につき地米・口反米・夫料米・貫物米などを合せて一石三斗四合余の負担で、竈数八六、人数四一六のうち農業人二三三、諸職人そのほか一五歳以下一八三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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