デジタル大辞泉
「玉名市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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玉名市
たまなし
面積:九〇・三〇平方キロ
県の北西部に位置し、東は玉名郡菊水町・玉東町、西は荒尾市と同郡岱明町、南は同郡横島町・天水町、北は同郡南関町と接する。北西部は筒ヶ岳(五〇一・四メートル)・観音岳(四七三メートル)などの小岱山系の丘陵地帯をなし、東部から南東部にかけて一〇〇―四〇〇メートルの丘陵地が起伏する。北東部から南西部を菊池川が、南流する繁根木川や西流する木葉川などを合して蛇行しつつ有明海に流入し、流域には肥沃な沖積平野を形成、河口一帯では藩政時代から干拓が進められている。中西部の菊池川右岸に市街地が形成、中央部を鹿児島本線が横断し、玉名駅・肥後伊倉駅が開設、同線にほぼ並行して国道二〇八号が通る。小岱山麓は県立自然公園に指定されている。昭和二九年(一九五四)まで玉名郡に属し、玉名の地名は「日本書紀」巻七に「玉杵名」、「和名抄」に「玉名郡」と記される。
〔原始・古代〕
市域から先土器時代の遺跡・遺物は知られていない。縄文期の遺跡は菊池川下流の微高地、あるいは洪積台地と沖積平野の接点に営まれている。保田木貝塚、桃田貝塚、繁根木貝塚、片諏訪貝塚などがあり、時間的にも前期から晩期までみられる。貝塚の分布より当時の海岸線の復原が可能となった。弥生期の遺跡は菊池川の右岸、小岱山の南麓台地と、金峰山系の伊倉台地の縁辺に広がり、中期から後期の集落が形成されていたことが知られる。この地域は県下でも有力な古墳地帯をなし、前期では木葉山西麓の山下古墳、中期では繁根木八幡宮の裏手にある稲荷山古墳がある。後期になるとこの地域の特色はいっそう発揮され、菊池川右岸の玉名平野北側の菊池川と繁根木川(錦川)にはさまれた丘陵の南端には大坊古墳、永安寺東・同西古墳などの装飾古墳群が、また小岱山麓に続く舌状台地の南西斜面には装飾をもつ石貫穴観音横穴群、石貫ナギノ横穴群があり、かなりの集落があったことが想像される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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玉名〔市〕
たまな
熊本県北西部,菊池川下流域,菊池平野にある市。南部で島原湾に面する。 1954年玉名町,大浜町,伊倉町の3町と滑石村,豊水村,石貫村,玉名村,小田村,梅林村,築山村,八嘉村,月瀬村の9村が合体して市制。 1956年南関町の一部を編入。 1978年横島干拓の一部である大栄地区を編入。 2005年岱明町,横島町,天水町の3町と合体。中心市街地の高瀬は中世~近世初期に菊池川の河港として栄え,中国や東南アジア方面との貿易が盛んであった。江戸時代には熊本藩の保護政策により特別町制が施行され,藩米などの積出港として繁栄。 1891年九州鉄道開通後は周辺の農業地域の中心地となった。菊池川沿いでは米作,台地や丘陵地帯ではウンシュウミカン,ブドウ,イチゴ,メロンなどの果樹栽培が行なわれる。干拓地が広がる沿岸部では,ノリやアサリの養殖が盛ん。中部の玉名には装飾古墳の大坊古墳,永安寺東古墳・西古墳,北部の石貫には石貫穴観音横穴,石貫ナギノ横穴群 (いずれも国の史跡) があり,唐人の墓などの遺跡も多い。広福寺は大智禅師による墨跡,大智墨蹟東谷明光除夜偈 (だいちぼくせきとうこくみょうこうじょのげ) など国の重要文化財を所蔵する。西部にある大野下の大ソテツは国指定天然記念物。ラジウム温泉で名高い玉名温泉のある北部は小岱山県立自然公園の中心地。金峰山の北斜面にあたる南東部は金峰山県立自然公園に属する。国道 208号線,501号線が通る。面積 152.60km2。人口 6万4292(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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