日本歴史地名大系 「油木下村」の解説 油木下村ゆきしもむら 岡山県:久米郡久米町油木下村[現在地名]久米町油木下倭文(しとり)川とその支流大原(おおばら)川周辺地域に耕地が広がる。北は油木北村、西は油木上村、東は福田下(ふくだしも)村・福田上村。西川(にしがわ)(現旭町)へ向かう街道が通る。もと油木村で、寛文五年(一六六五)油木北方村と油木南方村に分け、同一二年南方村を分けて上村・下村としたという(作陽誌)。元禄一〇年(一六九七)の美作国郷村帳では、油木南方村下として高二九一石余。「作陽誌」の戸口は二三軒・一〇四人。文政(一八一八―三〇)頃までは油木下村を本郷・分郷に分けたが、のちまた一村としたという(久米郡誌)。領主の変遷は神代(こうじろ)村と同じ。文化一〇年(一八一三)相模小田原藩領から幕府領への移管の際、大坂代官の直接支配を求める嘆願書の署名者は一九人(久米町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by