治田新町(読み)はつたしんまち

日本歴史地名大系 「治田新町」の解説

治田新町
はつたしんまち

[現在地名]北勢町しん

おく村の北西、員弁川支流のあお川の北に位置する。治田郷八ヵ村の一つ。「三国地志」「勢陽雑記」、慶安郷帳(明大刑博蔵)などには新町とみえる。明治初年の旧高旧領取調帳では「新町村」とある。慶安郷帳では幕府領で、高一〇七石すべて畑方である。明治五年(一八七二)の村明細帳(徳川林政史蔵)は村高について、寛文四年(一六六四)検地で二八五・一五三石、貞享元年(一六八四)検地で四二・二四三石の新田畑、さらに享保六年(一七二一)検地で一・七七八石が増している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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