治田鉱山(読み)はつたこうざん

日本歴史地名大系 「治田鉱山」の解説

治田鉱山
はつたこうざん

治田新はつたしん町の南河内みなみこうち山一帯で、戦国期末より銀・銅を産出した。江戸時代、鉱坑新町からあお川を二里近くさかのぼった日岡ひのおかにあったという。近世初期には産銀を主として繁栄したらしい。元和元年(一六一五)徳川秀忠の娘千姫が桑名城主本多氏の嫡子忠刻に再嫁したとき、治田鉱山は千姫の化粧料に充てられたが、寛永三年(一六二六)忠刻の没後千姫が落飾し江戸に戻ると治田郷幕府領に復した。同七年銀山役所が新町に置かれ、幕府から銀山奉行が派遣されて当地に駐在し、鉱山事務を管掌した(岡田次郎氏蔵文書)。また多田銀銅山(現兵庫県川辺郡猪名川町)との関係が深く、新町の甘露かんろ寺は慶長年間(一五九六―一六一五)に多田銀山から鉱夫の移転とともに移ったと伝える(治田村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の治田鉱山の言及

【北勢[町]】より

…町域西端,治田峠の東麓付近一帯は,かつて銀,銅を産し,鉱山町が栄えた。1615年(元和1)徳川秀忠の娘千姫が桑名の本多忠刻に再嫁した際,治田鉱山はその化粧料にあてられている。中心集落の阿下喜は員弁川上流域の谷口集落で,員弁郡北部の物資集散地として発展し,桑名までの舟運もあった。…

※「治田鉱山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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