日本歴史地名大系 「治部堰」の解説 治部堰じぶぜき 山形県:東置賜郡高畠町深沼村治部堰白竜(はくりゆう)湖(現南陽市)から取水し、天井川である屋代(やしろ)川の川底を通して深沼(ふかぬま)村に引水していた用水。結城治部が開いたのでこの名がある。開削年代は江戸初期とみられるが確かなことは不明。結城氏は深沼の小字西館(にしだて)の幅三間の堀で囲まれた八反屋敷に住んだ土豪で、下総結城(ゆうき)(現茨城県結城市)の出身という。伊達政宗に仕え、槍大将として屋代庄北方に五〇貫文の知行を与えられていた。伊達氏移封の際、事情があって深沼に残った。上杉氏の入封後、米沢藩重臣春日右衛門から開判形を得て二〇〇石を開き、その功で三〇石の知行を与えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by