日本歴史地名大系 「沼森村」の解説 沼森村ぬまのもりむら 茨城県:結城郡八千代町沼森村[現在地名]八千代町沼森鬼怒(きぬ)川旧河道南に位置。鬼怒川の自然堤防上に集落が形成された。北は水田が多く、南は洪積層台地となり畑作地。若(わか)沼(現在は水田)を挟んで南方の太田(おおた)村に対する。「寛文朱印留」によれば土井利益(のち古河藩主)領。「各村旧高簿」などによれば幕末には旗本石川八十郎知行地三五九・七四九三一石、松平左金吾知行地三四六・六二八三五石、金剛(こんごう)寺領二〇石、鷲(わし)神社領三石、宝国(ほうこく)寺除地一二石があった。村域に冬扇(とうせん)坊跡があり次の伝説を残す。寛文二年(一六六二)頃当村の名主赤松氏と鷲神社の祠官が朱印地争いをし、赤松氏の敗訴となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by