沼谷村(読み)ぬまたにむら

日本歴史地名大系 「沼谷村」の解説

沼谷村
ぬまたにむら

[現在地名]清水町沼谷

井谷いだに村の北西有田川の支流沼谷川の上流川筋の山間部に立地。村は上番うえばん山手やまで法道路ほうどうじの三地区に分れる(続風土記)

慶長検地高目録には「沼田谷村」とあり、村高一二七石余、小物成六斗三升七合。ただし慶長六年(一六〇一)検地帳(清水町安諦支所蔵)には沼谷村とある。同検地帳によれば家数二〇で内訳は庄屋一・行力一・百姓公事人七・百姓下人四・堂営三・後家やまめ寺共四、茶七〇斤余・紙木二三五束・桑二束を産した。寛政一一年(一七九九)の持高当作高并人別牛馬御調へニ付書上帳(堀江家文書)では、家数二九(うち無高二・寺一)、人数一四八(男七六・女七二)、牛一五、村方日用稼に二人が従事している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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