泉涌寺門前(読み)せんにゆうじもんぜん

日本歴史地名大系 「泉涌寺門前」の解説

泉涌寺門前
せんにゆうじもんぜん

[現在地名]東山区泉涌寺〈五葉ごようつじ町・すずめもり町・東林とうりん町・門前もんぜん町・山内やまのうち町〉

北・東・南をほぼ新熊野いまぐまの村に囲まれ、西は東福寺及び同寺門前諸町に接する。泉涌寺を中心にした集落。古くは愛宕おたぎ鳥戸とりべ(部)郷に属し、新熊野とともに南鳥部の地を形成していたが、江戸時代初めの元和四年(一六一八)、分れて一村となったという(坊目誌)

元禄年間の山城国郷帳に、「一、高八拾五石九斗七升六合 泉涌寺門前」とあり、享保一四年(一七二九)山城国高八郡村名帳には、八五石四斗七升一合と小異をみるが、以後幕末まで変化をみず、すべて泉涌寺領である。元禄二年(一六八九)刊「京羽二重織留」には、東西一三町一六間・南北九町半一七間、寺数一五ヵ寺に対して門前家数わずかに二六軒と出る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報